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二兎を得るか、一兎をも得ざるか

山陰本線を端から端まで乗ってみました

9月上旬頃にJR山陰本線を全線乗ってきましたのでふと思い出して今頃レポートしてみます。
青春18切符利用の旅です。

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自由はありすぎると扱いに困る、と本に書いた旅人がかつていました。
日々の仕事から解放された直後の人間はそんなことを思うのでしょうか、いかほどの自由が最適なのかはそれぞれが思うよりも少ないものなのかもしれません。この人はまた昭和の国鉄を乗りに乗った偉人でもあります。

自分のほうはというと、毎年夏になると18切符を1枚買い、2回分は東京〜神戸間の実家往復に使って残り3回分はノープランな鉄道旅行をするという程度の自由がとても気に入っています。今年は9月上旬の某日、何を思ったか山陽本線にぼーっと乗っていると関門海峡の近くまで来てしまったので、そこから山陰本線を全線経由して京都まで戻ってみてやるかと思うに至りました。リスペクトではありませんが、車内でふとさきほどの先人の「偉大なるローカル線」という山陰本線を評する言葉を思い出したのです。

流石に一日では踏破できないものの、鳥取にある友人宅を急襲することとして二日間あれば充分と確信し、下関駅で降りてすぐ近くのホテルをとって早々に就寝しました。

下関(山口県)〜益田(島根県) [820D/1564D]

早朝5時39分に出発する始発の益田行き列車はキハ47の2両編成です。
コンビニで買っておいた朝ご飯のサンドイッチとカフェオレを持って後方車両に乗り込むと冷房がよく効いていました。さすがに朝早くとあって人は自分含めて数人のみです。京都方面に向かって上りとなっており、山陰本線自体の路線終点駅は下関の次の幡生駅ですが、この区間の列車はすべて下関駅発着となっているよう。
外は天候があまりよくないこともあってまだ薄明の暗さですが、幡生駅をすぎると進行方向左手側にちらほらと日本海が見えてきます。
小串駅までいくとしばらく停車し、朝練のためと思われる高校生がたくさん乗車してきます。時刻はまだ6時半ごろ…。しかしこれでもまだ乗車率は3割程度。基本的に山や田んぼのあたりを通る単線なので、薮笹や背の高い野草が窓にこすれるほか、しだれた竹がたまにごつんとぶつかって音をたてるのでびっくりします。

宇賀本郷駅長門二見駅の間では大きくひらけた日本海をはじめて眺めることができました。旧北陸本線とはまた違った雰囲気がいいです。滝部駅で高校生が幾人か降りて、入れ替わりで別の制服を来た学生さんが乗り込んできます。学校が沿線に細長く分布しているようです。
単線で行き違い待ちですが、対向列車が線路に倒れていた竹で到着が延びて22分遅れの発車。
次の駅は「特牛」。かなり有名な難読駅名だそうですが、知らなければ特盛り牛丼としか思えないような…写真は取り損ねました。ここからしばらく時速20キロ制限の区間があり、田畑や里山日本海すれすれとを交互に縫うようにゆっくり走ります。初秋なだけに垂れた稲穂が雨に打たれていたのが印象的でした。

各駅でサラリーマンや学生がちょこちょこ乗ってきますが、ふと1両目のほうを見てみると制服がずらっと立っているのが見えます。前の1両目からしか降りれないためのようです。結局人丸駅まで来ると高校生で9割ほど埋まってしまうことに。確かに本数もさほどはないために遅れられないのでしょう。長門古市駅ではこの学生団体のほぼ半数がまた別の集団と入れ替わりました。おそらくこのあたりが輸送量のピークだと考えられます。
長門市駅に到着すると、後ろ側の車両は切り離して下関方向に戻るので益田方面へ行く人は前へ出ろとのアナウンスが。そんなことがあるのか…!

切り離し作業中の車内

前車両に移動するとこちらはキハ47ではなくキハ40であり、トイレもついてて長距離運用に向いてそうな車両です。列車番号も1564Dとなり、長門市始発のアナウンステープが流れいわゆるレールバスのような運行となりました。乗車率は7割ほど。

長門三隅駅からも学生さんたちが乗ってきますが、ほぼ全員が玉江駅で降りてゆきました。萩駅まで来るともう8時40分過ぎであり、通勤通学と思しき人々は消えて車内はガラガラです。その消えた集団内に雨男でもいたのか、越ヶ浜駅あたりから天気がよくなってきました。

萩駅、いい感じの雰囲気です

木与駅以降はちょっと海岸が入り組んでいるのかリアス式風なのか、短いトンネルが点在しています。山口県最後の江崎駅では行き違い待ちで5分停車。次の飯浦駅からは島根県に入ります。このあたりの駅はどういうわけかすごく良い昭和の雰囲気を残していて、いつかステーションビバークでもしてみたいなと思わせるほどです。

また付近の集落の瓦屋根が茶色をしており、よく見る日本家屋と比べて明るい感じがして独特でした。
戸田小浜駅の手前までくると目線の高さに砂浜があります。土用波の時期すら過ぎているものの、まだ名残を思わせる激しい飛沫が散っていました。さらに10分ほど走ると日本海に流れ込む高津川を渡り、終点の益田駅に到着します。10時4分着、約4時間半の道のりはまだこの歳には余裕に思えます。
駅には柿本人麿生誕地という垂れ幕がかかっていました。

益田駅構内で飼われているスズムシたち

益田〜米子(鳥取県) [3454D]

益田12時50分発の快速アクアライナーは2両のキハ126、お昼にと手に入れた鶏ご飯弁当とともに乗り込みます。快速なのでもちろん各駅はとまりません。出発してしばらくはまた日本海ぎりぎりと集落のあいだを線路は行ったり来たりし、小規模な漁港村のような地区も通過します。

最初の停車は岡見駅で、特急スーパーまつかぜが行き違うのをしばらく待ちます。周辺集落の規模はそれなりにあって、朝夕ならばやはり利用客は多そうではあります。

日本海までは手が届きそうなぐらい近い

西浜田駅あたりまでくれば集落というよりは街の風格が窺え、工場が散見されます。そのまま浜田駅につくと周囲は完全に市街地でした。昼間だからか乗降客は多くなく、ここからしばらくは同じような風景が流れて行きます。
快速の停まらない五十猛駅のあたりから一旦内陸よりに大きくカーブして、車窓は小さな工業地帯と田園集落の様相を見せるようになります。西出雲駅のすこし手前からは幡生駅以来の広い空に架線が走り始めます。東京発のサンライズ電車が直行できるようにちょっとだけ電化されているためですね。

出雲市駅はとても大きい駅で、乗客で座席が一気に埋まりました。時刻は15時頃。ここからアクアライナーは、都市中心より郊外へ至る典型的な景色の変化をみせながら各駅に停車していきます。
荘原駅にて特急を通過待ちしたあと、次の宍道駅を出るとすぐに海かと思うほどの広い宍道湖がそばに迫り、しばらくのあいだ車窓を独り占めします。そのあいだに玉造温泉駅で半数の乗客が降りてゆきました。山陰沿線は温泉に関連する駅がけっこう多いもようです。思いつき旅でなければ途中下車して飛び込みたいところでした。
乃木駅では下校真っ最中と思われる高校生が多く乗って来、そのまま特急やくもの交換待ちをします。気がつくと線路は高架になっていて、次の松江駅ではまたほとんどの乗客が入れ替わりました。この駅の行き先掲示には米子岡山鳥取方面といった表記があり、都市圏へのリーチがだんだん短くなってきていることを感じさせます。
東松江駅は北側にJR貨物の駅のようなものがあり、コンテナヤードとなっていました。この駅に到達する直前すなわち西側では、車のCMかなにかに写っていて有名な「すごく急坂に見えるけど実はそうでもない道路橋」をみることができます。(これも写真取り損ねました…)
島根県最後の安来駅では10分ほど停車し、後ろから追いかけてくる特急に一本道を譲ります。駅南側にある工場の壁面には「ようこそ米子路へ」と書かれた紙が貼られていました。

鳥取県に入るとすぐの米子駅に16時31分終着、約3時間半の道のりでした。総合支社が設置されているため駅舎がとても大きかったです。

米子〜鳥取(鳥取県) [252D]

16時53分発の鈍行はキハ121、時刻表上は米子で列車系統が分断されている様子ですが、シンプルデザインな2両のディーゼルカーはローカル感を保ったまま出発します。
東山公園駅で高校生がまた多く乗ってきたのち、伯耆大山駅を出ると架線が右手の伯備線方面へ行ってしまいます。ここからはやはり田園地帯を走りますが、古くからの日本家屋らしき建物が数多く立ち並んでおり、出雲市駅までの区間と比べると人口規模がはるかに大きいことが見てとれます。
大山口では普通列車同士での交換待ちを行います。南に中国地方最高峰の大山を望み、北の地平線近くの日本海まで大きく広がった地形に風車がぽつぽつとアクセントのように立っていました。このあと日本海名和駅にて再び接近します。

御来屋駅では快速とっとりライナーを6分間待つあいだ、学生が数人降りていきます。ここには「山陰最古の駅舎」との看板が上がっていましたが、あとで考えれば降りて外から駅舎を眺めたほうがよかったかなと思いました。地名からしても歴史を感じさせる駅ですね。通り過ぎていったとっとりライナーは「まんが王国とっとり・コナントレイン」と書かれたピンク色のラッピングカーでした。

赤碕駅にても再び列車交換でしばらく停まり、さらに倉吉駅でも普通列車交換で数分停まります。こちらは鳥取、米子に次ぐ大きな市街です。これ以降は乗車する人はほとんどおらず、末恒駅普通列車スーパーはくとの行き違いで6分停車した以外にはまばらに人が降りて行くのみの列車は19時3分に終点鳥取に到着しました。立派な高架駅で、スラブ軌道が敷かれています。流石に疲れました。

この日は友人と飲みに行き一晩泊めてもらいました、すごくありがたい。残りは翌日早朝から走りきり、そのあとそのまま東京方面へ帰ります。18きっぷモッタイナイので……

鳥取〜浜坂(兵庫県) [1524D]

朝6時53分に鳥取を出る列車は前日最後に乗ったものと同じ、しかし単行のキハ121です。
出発するとすぐに因美線が右手に逸れていき、そのあと本線は日本海方面へと大きく左手へカーブします。鳥取市街の高架は街の端で山の麓に滑り込み、よく見かけるバラスト軌道の上を走ります。山間部に入ってしばらく進み、福部駅で列車交換です。
こちらの車両は空気輸送であるのに対し、向かいは2連のキハ47に通勤通学客がほどよく詰まっていました。時間帯による乗客の方向性がかなり強く、やはり編成もそれにあわせて組まれているようです。

岩美駅では18きっぷ持ちと思われる旅行者数人を残してほかの地元民たちは皆降りてしまったようでした。
東浜駅までくると、その名の通り鳥取最東の浜があるのか日本海が駅舎から続く道路の延長線上に見えます。

列車交換で2分ほど待ったあと、県境を越えて兵庫県最初の居組駅へ向かいますが、この駅は快速列車が唯一通過してしまう寂しい駅でした。しかし秘境駅のように見えて、車窓の大部分を占める茂みの向こう側1kmほど先には集落がちらほらと見えます。
諸寄駅では中学生が多数乗り込んで来て、そのまま3分ほど走ったのちすぐに終点の浜坂駅に7時38分に到着しました。

浜坂〜豊岡 [164D]

浜坂駅からは2両のキハ47で8時2分の出発です。
次の久谷駅を過ぎると少し長いトンネルに入り、抜けると鉄橋で有名な余部駅に到着します。小学生だったかそれぐらいのときにここへは来たことがあり、そのときは駅ホームと朱色の旧鉄橋は内陸側にありました。しかし今日では無機質なコンクリートの新橋梁とともに海側に切り替えられてしまっています。
香住駅まで来れば少しずつ街が栄えてきて、但馬地域に入ったことを感じさせられます。

今回ではなく以前この付近に行ったときに、どこの駅だったか忘れたんですがカニのツメがホームから生えてました

竹野駅に至る手前で日本海とはお別れです。駅を通過すると、「山陰本線複線電化!」と書かれた看板が目に入りました。その直後のトンネルを抜けたあとの城崎温泉駅から京都まではすべて電化されているので、電車特急の延伸を願ってなのでしょうか。利便性の向上とともに地方人口がどう動くものとなるのかはたして。
玄武洞駅を通過するまで丸山川の際を走り、この列車の終点豊岡駅には9時10分に到着します。

豊岡〜福知山(京都府) [430M]

豊岡駅に着くと同じホームの隣に9時12分発の2連223系電車が待っていたので、すぐに乗り換えます。
先程までの気動車とはがらっと変わり、京阪神でよく見るいわゆる新快速などで使われる近郊型電車です。あまりにも急に都市圏へ入ってきたなといった感じを受けますが、車窓はそこまでは変わらずに田畑とまばらに立ち並ぶ鉄筋住宅の地帯を通過してゆきます。

和田山駅からは、そばを走ってきた丸山川に追従する播但線と川を渡る本線とに分かれ、再び山間地域の風情を眺めることができます。
梁瀬駅を出ると左へぐっとカーブし、夜久野トンネルを経て京都府に入りました。山陰道と並走しながら上川口駅を過ぎてしばらくすると軌道は高架にのって市街地へ入ってゆきます。
これもまた綺麗な高架駅である福知山駅には10時25分の到着です。

KTR北近畿タンゴ鉄道の駅でもあります。丹後ちりめんの座席に座ってみたいなぁ…

福知山〜園部 [1136M]

長距離直通電車があまりないのか、このあたりは細切れに進んでゆきます。
中途半端な朝昼食を駅の売店で買い、10時55分発の222と車番が振られた2両の電車に乗ります。あまり詳しくないのですが福知山線用の電車のためか偶数番号です。

これも以前に福知山駅を訪れたときの写真、特急が並んでいます。綺麗で見晴らしのよいお気に入りの駅です。

石原(いさ)駅周辺からまたまばらな集落の街模様となり、このあたりでは丹波里山の風景を望むことができます。
綾部駅からは由良川と並び、和知駅の前後でこの川を左岸、右岸、左岸と交互に渡ります。悪天候だった影響か川はかなり水位が高かったようです。気がつけばまた山間部に入っており、途中で特急きのさきと列車交換を行います。
日吉駅船岡駅のあいだは山が狭くせまる切り通しのような地形であり、ここを抜けると再び市街地に向かってゆきます。進行方向に対して後ろを向いて座っていたため、「ようこそ丹波路へ」と書かれた看板を見ることができました。
そのまま電車は園部駅へ12時12分に到着。

園部〜京都 [2216M]

園部駅にても乗り換えの時間はわずかに3分、12時15分発車の221系快速電車で、どういうわけか乗り心地がとても良かったです。
この区間は大都市近郊区間設定、すなわち到達経路問わずの切符販売やICOCAが使えたりといったことのできる山陰本線唯一のエリアとなっています。嵯峨野線という愛称もついていて高規格な都市路線と化してるんですねー。

しかし風景はまだしばらくは田園地帯が続きます。亀岡駅に至る手前で盆地が出現し、景色がぱっと大きくひらけます。亀岡駅を出たあと電車は加速し、嵯峨嵐山駅までの区間限定で最高130km/hという高速運転を行いながら蛇行する桂川の上を気持ちよく走り抜けていきます。車窓はとてもよく、トンネル出口からの高い橋梁から眺める保津峡は圧巻です。が、なにぶん高速すぎてほとんど見ていられませんでした。

桂川を見下ろしているとそのすぐ脇にまた別の線路があるのが確認できますが、旧山陰本線の一部を転用した嵯峨野のトロッコ列車が通っているようなのです。これはまた今度ぜひ行ってみたいなあ…。
6つのトンネルと5つの橋を交互に駆け抜けたあとは、すぐに京都の町並みに飲み込まれます。
ここからはもうあと30分ほど。快速電車なので数駅を飛ばしつつ乗客をどんどん拾ってゆき、山陰本線起点でありこの旅の終点である京都駅には12時51分に到着しました。

電車はまた園部方面へ折り返してゆきました。

まとめ

乗車時間は15時間15分、移動距離(営業キロ)は677.3km(京都-幡生-下関)でした。乗車した列車の表定平均速度は44.4km/hとなり、思っていたよりは速かったです。

地元住民の日常生活に使われるローカル線に丸一日半乗っていたわけですが、朝夕のラッシュ時間帯とそうでない昼間の両方の時間を通り抜けたとも言えます。旅行の多くは非日常に分類される行為だと思うのですが、ということは旅人は多くの日常がある空間とか時間の隙を「俺だけ非日常だぜ」といわんばかりにスルーしていくに等しい活動をやっているともすることができます。

しかし、実家からディズニーへ遊びに行くのも、自転車だけで日本の海岸線を一周するのも、旧東海道全線歩き通すのも、全部「旅」と称する行動ですよね。旅そのものって、目的なんでしょうか、それともただの過程なんでしょうか。
今回はただただ「山陰本線を全て乗る」ことを目的に移動しただけなのですが、この一連のなかでは非日常の立場から日常を眺めるということが一番面白かったように思いました。もしかしたら、外の世界から日常を傍観したいがためにたまたま路線制覇を選んでしまったのか、そうではなくて路線全線乗った経験という「勲章」が欲しかっただけなのか、自分でもよくわかりませんでしたが。

ただし疲れましたが新鮮で楽しかったとだけは月並みですが言わせていただきたいですね。経験できる自由というのは概して素敵なものです。